7月4日に発生した令和2年7月豪雨災害、特に被害がひどかった球磨川流域の人吉球磨地域の被災者のための募金活動を、『ゆいっこ横浜言いだしっぺ支部』という民間ボランティア団体の活動として行ってまいりました。
皆さまからお預かりした募金で、私どもで中古自動車を2台、『都築ゆいっこ』のメンバーが1台、合計3台のバン型の車を用意して、車の購入費・諸経費を差し引いた残りの募金とともに、災害発生から約1か月が経った8月5日に人吉で支援を行っている『ひまわりグループ』に寄贈してきました。
30年来の知人であり、今回の被災者支援団体『ひまわりグループ』のリーダーでもある本田節さんはご自身も被災をしたのですが、被災後4日で炊き出しを始め、5000食あまりを被災者に提供してました。
「避難所での調理が認められておらず、被災した自宅は見ての通り泥臭く、粉塵舞う状態で調理ができず、朝昼晩とコンビニ飯という人達ばかり。お昼だけでもちゃんとした料理を食べてもらうことは意義があったと思います。
しかし、1か月経ち、車も届いたので、復旧に向けて次のステージに入りました。支援活動の中身もそれに合わせて変えていく」とおっしゃっていました。
また同時に、彼女が経営していた郷土レストラン『ひまわり亭』(今回の豪雨で被災して休業中)のスペースを人吉周辺の民間支援のベース(基地)にすることにし、いくつかの民間支援団体にも声をかけ、集まって今後の相談をするとのこと。
今後、被災者用の仮設住宅ができれば、「交流」を中心に支援していくそうです。その時にも、横浜から寄贈した車に支援物資とお茶を積んで、交流の核としたいということでした。多くのメンバーが今もこの『ひまわりグループ』を支えてくれていますが、こういうビジョンを共有し、一つひとつの支援活動にどういう意味があるのかを理解してくれるからこそ、人が集まってくるのだと思いました。
とにかくご自身の体には十分にご自愛いただきながら、活動を継続していってほしいと思います。
今回も含め、被災地は復旧が大きな課題です。
人吉市でも商店街が水に浸かり、被災した店の6~7割がこのまま廃業するのではないかと言われていると聞きました。店主が60~70代で新たに借金をし投資して店を再開しても、どれだけ街の活気が戻るかわからない、売り上げが期待できるか見えないなかでは、廃業したほうが傷を広げずいいのではないかと考えている人が多いとのことでした。
住宅に関しても、今回2階の天井付近まで水が上がった地域の人たちも、同じ場所にもう一度家をつくる気にはなれないとのこと。集落がなくなってしまうようなことになりかねません。
東日本大震災では街の機能が戻ってきても、人口が減り続け、産業も含めて街の活気や元気が戻ってきたとは言い切れないところが多々あります。インフラは整備できても、街としてはそこで生活する人が充実した日々を送れなくてはいけません。
より力を入れるべきはハードではなくソフトの部分だということを、今回も強く感じました。
人吉と私の地元・横浜は距離的には大変離れていますが、その中でもこのソフトの部分で協力できるところがあれば、今後も情報交換をしながら協力していきたいと思います。
ゆいっこ横浜言いだしっぺ支部 代表 坂井学
本田節さんからのメッセージ
レポートはこちらをご覧ください↓
7月豪雨支援募金 ご報告31(現地レポート―1)
7月豪雨支援募金 ご報告32(現地レポート―2)
7月豪雨支援募金 ご報告33(現地レポート―3)