5年前の今日、夜の9:30過ぎ。ホテルで行われた知人の祝賀会がお開きとなり、主役が2階の階段から降り切る瞬間、その場にいた人たちの携帯電話が一斉に鳴り出しました。
「何だ?何だ?」と、その音の正体を掴もうとした時に、ガツンと建物が軋む音がして、ホテル全体が大きく揺れ始めました。
それが、熊本地震、震度7を記録した「前震」でした。
私がいたのは熊本県人吉市だったので、震度は4~5程度だったと思いますが、揺れるたびに「ゴーン」と建物が軋む音がし、その後おもむろに揺れていました。揺れること以上に、それが不安を掻き立てました。
テレビの画面には震度7の文字。建物の中にいた人々が外に飛び出している熊本市の繁華街の様子がテレビ画面に映し出されていました。よもや、この2日後に本震が来るとは思っていませんでした。
この日の夜から次の日の朝にかけて、何度も余震が続きました。心を落ち着けて考えられない状況でした。
益城町で見た活断層の段差、その上の建物はガタガタとひどいダメージなのに、少し離れた建物はさほどのダメージがないのを見て、改めて自然の力のものすごさを感じました。
熊本城をはじめ、阿蘇大橋や東海大農学部、温泉街など、私の思い出の一部とも言える風景、建物も崩れていました。
その現場に居合せ、他人事とは思えなかった熊本地震から5年。
まだ仮設住宅住まいの人がいます。5年経っても終わっていないということを改めて感じています。
人吉市、宇土市など、市役所が壊れ、建て替えが必要な市の相談対応などもさせていただきました。
復興支援の活動を開始した東日本大震災から10年。その5年後の熊本地震で改めて災害対策の重要性を実感しました。
一昨年には、自民党の行政改革推進本部で災害対策を扱う主査として、当時の菅官房長官に提言を手渡しました。
現在、その官邸の中で内閣官房副長官として災害対応、危機管理の職務をいただいています。
これらの経験を糧に、今は自分自身がその内部の一員として、よりよい災害対応を目指せる立場にいることにもなります。
熊本地震をはじめ、それぞれの災害復興支援で得たものをしっかりと活かしていきたいと思います。
<あのときの記録>
地元のみなさんと募金活動を開始
財務副大臣として熊本県庁からの緊急要望に対応
熊本の仲間たちと現地を視察
熊本で支援活動をしている仲間と一緒に戸塚駅で募金活動を行い、その後に「現地の声を聴く会」を開催
2年後、宇土市長からヒヤリングし、再度現地を視察