次世代を育むために~学校という擬似社会での大人の役割~

2012年08月01日

公立中学校のPTA会長の職も2年目となりました。
以前と比べて、やはりいくつもの新しい発見がありました。例えば、学校の先生は、もちろんいろんな先生がいるのでしょうが、概して懸命にがんばっていると思います。特に中学は部活動があるので、土・日・祝日などもお休み返上のボランティアで、遠征の引率をしたり、地域のいろいろな方々からの連絡にすぐに現場へ駆けつけて対応したりなど大変です。
しかし、子ども達はちゃんと応えてくれるので、教師はやりがいのある仕事ではないかとも思います。
また保護者(主に母親)たちは真剣に子どものことを考えて、本当に献身的です。その姿は魅力的でもありますが、時には恐ろしく感じるほどです。
教育の問題は、私自身が体験してきたことなので、伝えたいことはたくさんありますが、その一方で自分の子どもに対して十分な、そして理想的な教育を行っているのかと自問すれば到底そうとは言えず、問題の指摘や解決に対してついトーンが落ちてしまいます。
また教育といえば、歴史教育の問題や受験のことなど、論点が多岐にわたり焦点を絞った議論が難しいこともあります。
しかし、子ども達には、私達親がいなくなったあとも一人でこの社会を生き抜いていく力を身につけてもらわなくては困ります。また同時に、しあわせに日々を過ごせる心の持ち方を会得して欲しいとも思います。
それを考えると、学校は社会の縮図だと言えます。

■「社会の縮図」の役割
社会に出る前に、社会に出れば否が応でもぶち当たる様々な壁を経験して、免疫を作っておくことも必要。またどうすれば成功を体験できるのか、すなわち失敗を恐れずチャレンジする大切さなどを会得することも、今後の飛躍に必要です。
とはいえ、大津のいじめ問題も、決して他人事ではありません。区内の校長先生方も同様にとらえ、真剣に対応しています。
通常、年末に行っていたアンケートも前倒しして、夏休み明けに行うところもあります。我が子の話を聞いていても、「それはいじめの萌芽か?」と思うような話が出てきます。本人もそのことにどう対応するか悩んだりしています。どこまで親が立ち入り、逆にどこから先は触れない方がいいのか、ケースバイケースで難しい問題です。
自殺してしまったり、そのことが一生の心の傷になってしまったりしては取り返しがつきません。一方で、社会にも競争があり、またいじめや対立も実際に存在します。子ども達にとっては先生や保護者の目が届いている、ある意味守られた空間の擬似社会で、ものごとの善悪やその時どういう力関係が働くのかということを学んでいると思います。
ですから、何かあると保護者が出て行くというのも、子どもが会得するせっかくのチャンスを奪うことになります。かといって取り返しがつかなくなってはどうにもなりません。

■保護者の役割
本当に難しいのですが、次世代の成長のために、子ども達自身が試行錯誤する機会を作ることも保護者の世代の責任ではないでしょうか。現実社会に競争がある以上、学校で競争をさせないことはナンセンスです。勝つ人もいれば負ける人もいる、努力をすれば勝てるようになり、もし勝てないなら、どの分野なら自分の力を発揮できるか、そのために自分はどうしたらいいのかという判断と工夫を自ら組み立てられる力を得てもらわねばなりません。
ついつい保護者が手を差し伸べてしまいそうになるところを、適切な判断で子ども達を育んでいく。永遠の課題ではありながら、今の時代、ついおろそかになりがちなところだと思います。