落語という文化

2010年10月20日

今朝はいずみ中央駅で街頭演説。
今日は陳情ごとを中心に作業をしていたら、夕方近くまでかかってしまいました。
その間、今日図書館で借りてきた本が、ちょっと読んだだけですがオモシロイ、というか身につまされる。『談志最後の落語論』という題名です。
わからないことがほとんどだけど、時たまわかってくる気もするのが不思議。
彼は書いています。「今の世の中、自分の欲望を”金で解決している”わけだが、それを”恥ずかしいこと”としてやらないのが『品』というものだ」と。そして、その金にモノを言わせる品のなさを笑うのが落語だ、と。これ、わかります。
昔は客も落語家を育てたそうです。ただ笑いに来ているだけでなく、客も勉強し、真剣さを求め、落語の落語たるゆえんを求めて落語をそれぞれ評価し、ひどいものには「ひどい」と言ったそうです。
単なるギャグやだじゃれとは違うものが、落語にはあるそうで・・・。「場の風」とも言うべきものなのでしょうし、「品」なのかもしれません。
立川キウイの本を手に取るところからでしたが、立川談志師匠の本はやはり「粋」があふれています。うまく言えないけど。
単なる損得、単なる理屈を超えたもの、そこにしっかりと焦点を当てているのが落語だし、その文化だし、またそういう文化を持った人が生活を指定のが昭和の時代ということになるのでしょうか。
その昭和で同じ空気を吸っていたこと、よかった。