政務報告 被災地視察

2013年03月09日

「被災地視察」ですが、今回は初めて国交省の政務官として行ってきました。

↑ 三陸の海岸を八戸(青森)から岩手、宮城、福島まで自動車専用道路をつなげようという計画になっています。
この三陸沿岸道路を復興道路と名付けていますが、その中では八戸南道路と言われている箇所が初めて開通し、その開通式に国交省の代表としてあいさつしました。

↑ テープカットを行いました。

パレードの様子

↑ テープカットの後、いろんな車を走らせますが、これを「パレード」と呼んでいます。

パレードの救急車

↑ 震災後活躍したいろいろな車からスタートでした。

↑ まだまだ続きました。この日は記念のウォーキングも行われました。

↑ 久慈市の市長から説明を受けました。
8メートルの防潮堤を前提に街づくりを進めているという市の方向性を教えてもらいました。

↑ ここは久慈市の港の一番奥にある漁協の建物。
3.11のとき、ここで実際に漁協の幹部が会議をしていて、ここから津波が町を飲み込むのを見ていたそうです。

↑ 久慈市の後、普代村の工事中の普代バイパスにも行きました。
もうすぐ開通します。

↑ トンネルを抜けてみると・・・

普代村の水門

↑ 遠くに見える普代村の水門。ここは水門で有名です。
以前、15メートルの津波が来たから、15.5メートルの水門を作ると村長が説得して回って作ったとか。
そのおかげで、村の中心部は、被害を全く受けずに済みました。

水門の手前にある中学校

↑ 水門の手前に中学校があります。
その向こうには陰になっていますが、小学校もあります。
今回は、グランドの浸水はありませんでしたが、すぐ下の道路までは来たそうです。

↑ そこで作られたのが、この階段。ここを使って生徒たちが避難します。
中学校から階段が付き、上がりきれば三陸沿岸道路という自動車専用道路。
今、道路を作っています。

夜光灯

↑ 夜でも、大丈夫なように、手すりの上に太陽光で光るライトを設置しています。

普代村の水門

↑ これが、普代村の水門。
上に見える横に走っている通路が24mの高さ。そこまで水が来たそうです。
しかも、その部屋に消防団員が逃げ込んで、助かっています。
普代村は、震災犠牲者、1名ということです。

水門から見た風景

↑ 水門から海を見ます。

↑ そこでまた説明を受けました。

おもと小学校

↑ 岩泉町の小本小学校。
さっきの避難階段を4年前に設置しており、大震災ではその階段のおかげで88人の生徒が避難できたとのこと。
浸水したので、今この校舎は使われておりませんが。
その階段は、丁度この建物の真裏にあり、高い道路につながってます。

 橋と坂

↑ これは田野畑村の思惟大橋。そして、ここは「辞職坂」。こんなに深い谷が二つも続いています。
昔ここに転勤になった役人がこの谷を一時間かけて降りて上がって越える時に、「もう役所辞めよう」と思ったのだそうです。
今は橋が通り、車でスーですが。

険しい坂道

↑ 真ん中あたりに、小道見えます? あの道を降りて上がったのだそうです。

たのはたの説明をした石碑

 ↑ 石碑に説明が載っていました。

おひるごはん

↑ 今日のお昼です。これに、いちご煮というアワビとウニのすまし汁。階上町にて。
ご飯には、ウニがまぶしてあるそうです。贅沢な限り。
しかし、昔は海のものしかなく、保存が効かないので、大量に火をいれて作り、毎日飽きる程食べていたそうです。