岩手県大槌町の方々とのシンポジウムを終えて

2011年05月17日

~「顔の見える息のながい支援」の原点を再確認~

「来てよかった」。シンポジウムとその後の募金活動を終えた後、岩手県の大槌町から来ていただいた被災者の一言に、私もこのシンポジウムを開催してよかったと、心の底から思いました。この被災者の「来てよかった」の言葉の裏側には、今回のシンポジウムの誘いに対して、彼らがとても悩みためらったことがわかります。
「多くの人の犠牲をネタに、話しやがってと思われるのでは?」「さらし者になるんじゃないか?」「募金欲しさと見られるのではないか?」・・・。その他にも私たちには想像できないような不安があったと言います。
しかし、それを吹き飛ばしたのは、3月の震災から支援活動を「ゆいっこ」で一緒にしてくれたみんなであり、今回被災者の方々と一緒に募金活動をしてくれたみなさんの真剣さです。

彼らは言います。「こんなに真剣に活動してくれていたとは思わなかった。それに引き換え、支援を受ける私たちの地元では、それに応えるに充分な態度ではなかった。自分達が今度はしっかりしなければダメだ」と。
こう感じてくれたのは、「ゆいっこ横浜支部」で一緒に活動していただいたみなさんのおかげです。
今回、改めて思ったことは、「感動は何よりも強い」ということでした。大槌の人たちが「自分たちがやらなきゃ」と思ってくれたのは、横浜の人たちの懸命な姿に感動してくれたからだと思います。そして、そう感じた被災者の一人が、「今まで地元に残るか、外に出るか迷っていたけれど、地元に残ることに決めた」と宣言してくれました。その決心に今度は、私たち横浜の人間も熱いものを感じました。
これが、「顔の見える支援」「息のながい支援」の原点です。この感動を共有した原体験があれば、お互いに忘れません。この原体験の上にこれから新たな歴史を築いていけるわけです。何かあっても、この原点に戻ることで、乗り切れることもきっと多いと思います。結果として、もっと多くのものを実現できるのだろうと思うのです。

今回、先ほどのような不安を持ちながら、しかし彼らは横浜に出てきてくれました。それは、それまでに私たちの間で少ない時間ではあったけれども培ってきた信頼からのことだと思っています。
一番大きいのは、「ゆいっこ花巻支部」の高橋博之君と大槌・安渡小学校(避難所)のみなさんとの信頼関係ですが、5回にわたって物資や炊き出しで支援してきた横浜ゆいっことの関係も、高橋君と大槌・安渡小のみなさんとの信頼構築に貢献しているし、何より、「あの横浜に呼ばれてるから仕方ないか・・・」という思いもあったこと思います。実際に今回来てくださった方の中の一人は、「横浜の○○君に酒を飲もうと言われたから来た」とハッキリおっしゃっています。本当に今まで協力してくれたみなさんの力が、今回のシンポジウムに結集した、現れているんだと思います。
今回会場に来ていただいたマスコミの方から、「いろんな震災関係のシンポジウムに行ったけれども、被災者自らが語ったものは初めて」と言われました。改めて、今回協力してくれたみなさんに感謝すると同時に、このある種の友情を街づくりとして形にしたいと思いました。

街づくりには、国がやるもの、県や市町村が行うもの、そして民間やボランティアで行うもの、それぞれあります。それぞれの立場でしっかり自分達の持ち分を果たしていくことが大事だと思います。
そして中身に関しては、将来の街づくりの場所の選定が大事だと思いました。政府から出て来る案は、山を切り崩し埋め立てて、高台を作り、そこにコンパクトな集落を作るという方向性のみしか出てきません。今回被害を受けた所は、次も危ないから、ここにもう一度街を・・・という提案はしづらいのでしょう。
しかし、今回聞いたのは、当事者たちにはかなり事情が違うということです。
まず、同じ大槌に住んでいた人でも、子どもの頃から住んでいたのか、結婚や他の理由で移住してきたか、それによってもまったく違うということです。
前者はほとんどが今までの所で住みたい。逆に、後者はできたら違う所で・・・という傾向があるようです。
そして、ここに住みたいと言っている方々は、政府案に反対します。その理由として
1.山を削ったら風景が変わる。そんなのは俺らのふるさとじゃない 
2.海の匂いが届かない所に住んでも、それはふるさとじゃない 
3.山を削ったら海が死ぬ。死んだ海じゃ、何の意味も無い。漁業がまず成り立たない
4.産業がないところは、間違いなく過疎となり、見捨てられる。

そしてそんなお金ばかりいっぱいかかる案よりも、と言って出てきたのが次の案。
1.堤防は台風が防げればそれでいい。海が眺められる風景でいい
2.住む所は浜。津波が来るので、逃げ道や避難スペースをしっかり作って欲しい。逃げれば津波は大丈夫。今回も逃げなかった(逃げられなかった)人が犠牲となっている
3.今回、津波を受けた地域は全部行政が買い上げて欲しい。そして町営住宅を作ってくれれば、俺らはそれでいい。家のローンだけが残ってしまうという図式はもう勘弁。そうすれば山を崩し高台に街を作る何十分の一程度のお金で済むはず。

私は少なくともこの声は大変理にかなっていると思うので、議論の場に採り上げるべきだと思います。
逆に政府案は、海が死に、漁業ができなくなることに対して、何の説明もありません。これでは困ったことを先送りする小手先の対策だと言われても仕方ないでしょう。
今回、この話をしてくれた方は、自分で商売をやっていました。しかし、今は津波の被害のあったところには建物を建ててはいけないことになっているので、建てられず、代わりの場所も無い。まったくやりようがない状態になっているわけです。やはり適切なこれからのビジョン、方向性、これを一刻も早く提示し、彼らやる気のある方々の意欲をまちづくりに活かしていきたいところです。

今、被災地では一人二人と若い世代から街を離れています。もともと高齢化率が高く、高齢者が多いところを、現役世代にこそ残って復興に力を注いで欲しいのですが、現役世代からいなくなってしまっているのです。
シンポジウムと募金活動の後の懇親会で、氏神様のお宮は残り、神輿も無事だという話から、そのお宮のお祭に神輿を出そうというアイデアも出ました。今年の9月です。もともと神輿渡御(とぎょ)には供養の意味合いもあるそうです。横浜から何人も担ぎ手が行ってくれることになりました。しかし、同時に、大槌出身の若手にも戻って来てもらいたい。そのきっかけとしたいと考えました。
これらは民間だからできることではないでしょうか。できることなら、形にしたいと思っています。こういうアイデアが出てくるということからも、今回のシンポジウムは意味があったと思います。そして息のながい支援、あとはこれら一つひとつを意味のある積み重ねとして、とにかく続けていくことです。今後とも、みなさん一人ひとりのご協力をお願いすると同時に、それぞれに適したよい関係を、大槌のみなさんと築いてもらいたい。そう思います。