これからも「ゆいっこ」活動をやっていきます

2011年12月20日

3月の震災以降、岩手の仲間とともに民間復興支援グループ「ゆいっこ」を立ち上げ、その「横浜支部」として、私たちなりの支援活動を行ってまいりました。
当初はとにかく、募金活動を行ってその資金で物資の支援や炊き出しを行いました。街頭で募金をお願いすると、涙ながらにお金を入れてくださる方、「必ず現地に届けてください」と言いながら募金をしてくださる方が大勢おられて、お願いする私たちまで胸が熱くなりました。
皆さんの思いは単に日本赤十字に振り込むだけでは応えることにならないと思い、直接自分たちで届けていきたいというのがこの支援活動のスタートでした。
まだ東北自動車道も開通していなかった3月23日に、初めて飛行機で岩手に入りました。
大槌町安渡小学校避難所に、水も電気もないなかで一泊し、十数か所の大槌町内の避難所を回りました。
支援活動を続けていきたいという私の思いの原点は、このときの避難所回りです。たくさんの方と接し、お話しし、その中で当たり前ですが、彼らの不安や恐怖を目の当たりにしたことは、私にとってはとても重要な体験でした。

それから9ヶ月。局面も変わりました。
横浜では、「まだ支援活動やってるの?」と言われることも一度や二度ではないという雰囲気になりました。
基本的には希望者は仮設住宅に移り、新たな生活がスタートし、落ち着き始めていると言われます。物資の支援、炊き出しの支援も緊急性はなくなってきました。
これからの活動に向けて大きな分岐点に来ていることは間違いありません。ここで一旦立ち止まり、現在本当に必要なことで、かつ、私たちが横浜からできることは何かを整理する必要があると思います。

12月に大槌町に行った折、最も強く感じたことは、「特別」から少しでも早く「普通」へ、「日常」へ戻らなければいけない、ということでした。
表現は悪いですが、「被災地」を売りにするのではなく、その地域、物産、伝統芸能など「そのものの力」で勝負ができるようにならなければいけないと感じました。そのためには環境整備が必要です。
産業を興すこと、仕事をつくることが必要です。
今は、仕事がない。先も見えない。だから若い人が外に出る。高齢者ばかりでは、生産活動ができない。売るものが作れない。この悪循環の繰り返しです。
その突破口、ブレークスルーをするところで、横浜に住む私たちが力になることができたらと、そう考えています。
基本的には、私たちは消費地に住み、毎日消費しているのですから、生産地である被災地と<生産者-消費者>という形でつながれるのが一番いいと思います。
そのためにも、被災地で生産活動ができる下地を作っていかねばなりません。
現地の方々ともお話しをさせていただきながら、小さくとも形の残る、見える形で、活動をし、人と人との付き合いを基本とした顔の見える支援を模索し続けていきたいと思っています。